5月も終わり。
衣替えの時期となり、また気持ちもしっかりと衣替えです。
圃場も衣替え、ほぼ片付きました!苗は圃場へ植えて、連日の水やりからも解放されます!
はい、パンジー・ビオラは完全終了!
左側のローズの入れ物がパンジー・ビオラ、右側が採種途中のプリムラです。
で、左側の6ケースが交配分。1ケースは数に足りませんが、250袋ずつ収めました。
そして、右側が品種、系統の分。
自分でもこんなに交配したのかと驚くばかりです。どうりで忙しかったわけだ。
反面、品種、系統は採れず・・・。
気になっていた親株もとうとう拾い上げることが出来ず、絶えてしまったものも多数ありました。
残念ですが、時間や体力に限りがある中では無理でした。
全く種が採れないときもあるし、こうして採れすぎる時もある。まあ、これまでの気象を見れば、採れなくなる方の確立が今後は高いでしょう。
おそらく、これが私のパンジー・ビオラでの最高の採種数です!
中島みゆきさんの「糸」ではありませんが、連日、そして丸一日中ハウスの中でただ交配、採種を行っていると「♪こんな種がなんになるの~」と頭の中で流れたりします。
そんな時はメンタルと体力が弱っている証拠。
でも、最終的には「♪いつか誰かを癒しうるかもしれない~」と流れてくるのです。
毎年、パンジー・ビオラの種子の配布を行っている訳ですが、平均すると100人前後の申し込みがあります。
それだけの方が興味を持ってくださって、また楽しみにされているとのこと。
そして、それは私の想いを繋げてくださっていることに違いありません。
花と共に、種子と共に作り手の想いは繋がり、繋がれていくもの。
これまでもこれからも・・・。私はそう確信しています。
昨今、パンジー・ビオラにおいて権利主張を声高に叫ぶ方がいらっしゃいます。
新しい花を作りだすのは時間や労力を必要とするものなので、そのことに対しては当然でしょう。ただ叫びすぎでは逆効果ではないでしょうか。
ちょっと前、とあるユーザの方から、「エゴサーチ(ネット検閲?)してるのでネットじゃ言えないけど」との前置きがあってこんなお話をいただきました。
「とあるとことからパンジー・ビオラを買った。届いた花もその苗作りもとても素晴らしくて感動を覚えた。ところが、その後、その買い求めた先の言動や行動を見るにつけ、その感動も消え失せた。今ではパンジー・ビオラを見ても心が落ち着かない。こんなことは初めて。花は人なりとはきっとこのことでしょう。」
花とはなんでしょう?何故人は花を育てるのでしょう?
花の存在の意味を否定してまで伝えたいとことは何なのでしょうか。私にはわかりません。
そして、何かとても大事なものが砕け散ったようで胸が痛くなりました。
「もうここから買うことはないでしょうし、お友達にも薦めることもないでしょう」
花が届かなければ、その作り手の想いも伝わらないのです。
作り手の想い、そして遺伝子(種子)を繋いでくれるのは、個々のパンジー・ビオラ好きの方々。年々、その考えは強くなっています。
販売となるとちょっと違いますが、個人で楽しまれる場合には誰の制約も受けません。
どんどん、種採って自分の楽しみを広げていってください!
配布用です。こちらも順調で大袋2つ採りました!
乾燥させて、揉んで、フーフーして種だけにします。
ホント、フーフーは頭がくらくらする時がありますよ(笑)
今年は十分すぎるくらいに確保できました!
「♪逢うべき花に出あえることを 人は仕合せと呼びます~」
って、感じになれたらいいなと思います。
次回、配布のご案内をいたしま~す!